悲運の提督/「判官びいき」の系譜
「判官びいき」の系譜/最上 義光:第17回
町割や最上川開削に功績
関ヶ原の戦い後の論功行賞で57万石の知行を得た義光は、以前から進めていた城下町山形の町割(まちわり)をはじめ領国の整備に力を入れていった。
山形城は本丸、二の丸、三の丸の三重の城郭を持ち、東西1.5キロ、南北1.9キロの広大な平城であった。三の丸の外郭には町人や職人町を配した。
さらに、最上川の難所を開削(かいさく)して庄内と結ぶ水運のルートを整備した。山形の外港としては船町河岸を設けた。