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荒井幸博のシネマつれづれ

〈荒井幸博のシネマつれづれ〉追悼・西田敏行さん

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気さくだった〝雲の上の人〟

 俳優の西田敏行さんが17日、東京都内の自宅で76歳という若さで亡くなった。

 西田さんとはインタビューやラジオ出演などで何度かお会いする幸運に恵まれた。初めてお目にかかったのは、忘れもしない1996年11月のことだった。

 当時、西田さんは地方で映画館運営に奮闘する男を描いた山田洋次監督の「虹をつかむ男」で主人公を務め、その撮影の真っ最中。映画館勤務をやめ、フリーランスとして独立したばかりの私はこの映画に無条件にシンパシーを抱き、松竹大船の撮影現場に駆け付けたのだった。

 あのころの西田さんはすでに「釣りバカ日誌」シリーズやNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」、舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで確固たる地位を築き、松竹では故渥美清さんの後継と目されていた存在。

 そんな〝雲の上の人〟のような西田さんが気軽に楽屋でのインタビューに応じてくださり、「福島県郡山市で生まれ育ち、子どものころから養父に連れられて映画館で観た時代劇に憧れて俳優になることを決意しました」「東北なまりを取るために東京の高校に進学したんですよ」などと気さくに語ってくれたことを懐かしく思い出す。

 図々しくも翌年、「虹をつかむ男 南国奮斗篇」の現場に押しかけた私を西田さんは快く迎え入れてくださり、倍賞千恵子さん、小泉今日子さん、吉岡秀隆さんらと引き合わせてくださった。

 きらびやかな地位にもおごることなく、一介の地方パーソナリティに過ぎない私にも同じ目線で接してくださった西田さん。その優しさが、フリーとしてよちよち歩きを始めた私にとってはどれだけ嬉しく、励みになったことか。

 西田さんはこの20数年、様々な病気を患い、満身創痍(まんしんそう い)の状態だったと聞くが、訃報(ふほう)は寝耳に水だった。

 西田さん、あなたの優しさに触れることができた私は幸せ者です。感謝の想いで一杯です。安らかにお眠りください。

シネマパーソナリティー

荒井あらい 幸博 ゆきひろ

1957年、山形市生まれ。シネマパーソナリティーとして多くのメディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。現在FM山形で「荒井幸博のシネマアライヴ」(金曜19時)を担当。

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