悲運の提督/「判官びいき」の系譜
「判官びいき」の系譜/源 義経:第14回
義経の最期と藤原氏の滅亡
最大の庇護者だった藤原秀衡(ひでひら)が亡くなった時、義経は自分の命運が尽きたと嘆いたと伝わる。実際、義経の進退は窮まっていった。
文治5年(1189年)閏4月30日、秀衡の子で家督を継いだ泰衡(やすひら)は数百騎の軍勢で義経らのいた衣川(ころもがわ)の館を攻める。義経は北の方と子どもとともに自害。数え年で31歳の若さであった。