山形コミュニティ新聞WEB版

セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》第172回 商店街のパチンコ屋

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 かつてパチンコ屋は当然のように商店街の中にあった。昨今では車で行くことを前提とし、郊外に広大な駐車場を備えた「パチンコホール」や「パーラー」が幅を効かせているが、パチンコ屋は賑やかな商店街に更に彩りを加えるかのように派手に軍艦マーチを流し、客を集めていた。

《セピア色の風景帖》第172回 商店街のパチンコ屋

 初期の台は1球ずつ投入するもので、やがて連発式になったが、玉を打ち出す際には1発ずつ手指でバネを弾くことには変わりがなかった。このバネを弾く動きや音がパチンコの語源であろう。
 年齢制限が設けられた後も子どもの立ち入りは可能で、床に落ちているこぼれ玉を子どもに拾わせている親も珍しくなかった。
 店内にスマートボールなどを併設していたところもあり、パチンコ屋はゲームセンターのような感覚で観光地や温泉街などにも点在していた。

 時代は移り、風紀を乱すものとして風当たりが強くなると、商店街など身近なところからは店舗は排除されていき、軍艦マーチを耳にすることもなくなった。
 今、郊外のパーラーに客が吸い寄せられるように次々と車で乗り付け、お金を使ってまた出ていく様子を見ていると、蜜蜂の巣箱のようでなんだか可笑しい。(F)

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