セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》第171回 廃湯の数々
県内には数多くの温泉・鉱泉がある。温泉などは源泉が枯れない限りなくならないように思えるが、実際には経営上の問題から閉鎖される事例が後を絶たない。自然の贈り物として源泉が湧き出るにもかかわらず、その恩恵にあずかることができなくなるのである。
1軒が廃業しても周辺の同業者が存続していればまだいいのだが、周辺に同業者がいない場合はその温泉地の名前が消えてしまう。残念ながらそうした例は意外に多い。
かつて良質の湯として知られた「山形温泉」は、管理していた蔵王荘の廃業後は建物が撤去され、現在はバス停に名を残すだけになっている。
美人の湯といわれた最上町の「琵琶(びわ)の沢温泉」、油田掘削で湧いた新庄市の「あぶら山温泉」、羽黒山に近く医者が見放した神経痛に効いたという旧藤島町の「筍沢(たけのこさわ)温泉」、朝日連峰登山者の宿だった大江町の「古寺鉱泉(こでらこうせん)」、信仰の湯で信者のみが着衣で入れたという戸沢村の「今神(いまがみ)温泉」などもそれぞれの事情で消滅した。
新たに発見される温泉がある一方、湧き続ける湯がありながらも消えていく温泉――。温泉が生き永らえるためには常に人が入り続ける必要があるようだ。(F)