セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第141回 南山形小学校・南山形中学校
「金井地区」といえば今では陣場、江俣、嶋など山形市北部が連想されるが、かつては片谷地、松原など山形市南部も金井地区と呼ばれていた。
いずれにも同じ時期に金井村が誕生し、同じ時期に山形市に編入されたという歴史がある。
現在の市立南山形小学校の前身は明治6年設立の松原学校。その後に小さな分離と合併を繰り返して金井尋常高等小学校となり、明治35年に先代校舎となる大きな木造校舎が建設された。
その後も数度の拡張を経て国民学校、金井村立学校、そして昭和29年に金井村が山形市に編入されたのを機に南山形小となった。
この時点では現在の聾学校の北側に谷柏分校があり、この分校は昭和39年まで続いた。現在、分校跡には記念碑が建立されている。
同小の隣には金井中学校(後の南山形中学校)が校舎を並べ、グラウンドを共用していた。付近には私立ではあるが「みなみやまがた幼稚園」もあり、昭和40年代には松原住宅が整備され周辺の人口が増加したこともあって、同小一帯は教育施設が集約された理想的な文教地区とされていた。
だが、明治から長期にわたって使用され続けた同小の校舎は昭和51年に更新される。その際、隣接していた南山形中は本沢中と合併し、市立第九中学校として遠く谷柏地区に場所を移して校舎が建設されたため、教育施設の集約は崩れることになった。
大正時代に建立された小中の名を記す石の校門は、現在もグラウンド脇に残されている。(F)