セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第137回 佐藤医院の私橋
南陽市の烏帽子山八幡宮に上るルートのひとつの石段横に、「佐藤医院」という表札がかかった廃屋があった。
東西の門にはそれぞれ橋が渡されており、川面は見えないものの水門の姿があるところから、竣工当初は水路だったものを後年、蓋(ふた)を架けて暗渠(あんきょ)にしたものと思われた。
東側の橋は、南陽市指定文化財の吉田橋のような自然石を模した親柱が設えられており、高欄には日本の伝統的な文様が施されていた。
西側の橋は、高畠町の歴史的建造物として知られる幸橋に近いデザインで、使用されている石材の質も似通っていた。
吉田橋や幸橋が明治時代の建造であることや、医院前の石段を上がると間もなく吉田橋の建造者である吉田善之助の弟子がやはり明治時代に作った康寿橋があることなどから、佐藤医院に架かる橋も歴史的価値のあるものと推察された。
ただ私橋だったことが影響してか、文化財などの候補にあがることはなく、保存の動きが盛り上がることもなかった。そして案の定、気がつけばいつの間にか姿を消していたのであった。(F)