セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第128回 貨車店舗
昭和の終わりに国鉄が合理化されJRになる際、大量の車両が格安で一般に販売された。確か、1両当たり17万円ほどだったと記憶している。
中でも、屋根付きの貨車は容積も大きく頑丈なため、日本中で貨車利用の店舗が増える現象が生じた。
名称も「停車場」「駅馬車」「ポッポ屋」などそれらしいものが多く、喫茶店、雑貨屋、花屋など業種も多岐にわたっていた。
山形市では桜田に貨車を使った喫茶店が現れ、一時は人気を博したが、鉄製貨車の内部は冬は凍えるように寒く、夏は灼熱の暑さという大きな欠陥があった。
また払い下げの時点で相当の年月を経ている車両が多く、サビに悩まされ続け、増えた時と同等のスピードで貨車店舗は消えていった。
その後しばらくして、中山町の112号沿いに「汽車ポッポ」という貨車店舗が復活して営業を続けている。 (F)