セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第六十三回 かみのやま競馬場 その3
レース後の表彰式も終わり、家路につくと思われた観客が列を作り始めた。
何ごとかと列の先頭を見やると、出走した騎手たちが出口付近に並び、帰る客の1人ひとりと握手をしているのであった。明日をも知れぬ身となる中、謝意を込めてにこやかに振る舞う姿にプロ意識を感じさせられた。
騎手や厩務員(きゅうむいん)には厳しい行く末が予想されたが、競走馬にはさらに過酷な運命が待っていた。翌日には厩舎にトラックが横付けされ、競走馬たちを乗せていった。
かみのやまで走っていた馬が格上の競馬場に移籍するのは難しい。中には他の競馬場に移送される幸運な馬もいたが、ほとんどの馬の行き先は食肉処理場だった。
乗馬用として延命させる道もあったろうが、神経質な競走馬は乗馬に向かない場合が多く、エサ代などを考えれば屠畜(とちく)処分して食肉にせざるを得ないと判断されたようだ。引き取り価格は1頭わずか1万~2万円だったという。
こうして約600頭いた競走馬の半数の命が数日のうちに失われた。 (F)