セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第三十三回 製氷工場
かつてJR北山形駅の西口に古色蒼然(こしょくそうぜん)とした趣の巨大な工場群があった。壁面に「製氷」と大書されていたため製氷工場であることは歴然としていたが、工場群は平成十八年には解体されてしまった。だが会社そのものが消滅してしまったわけではなかった。
その製氷会社の創業は昭和二十一年と聞く。製氷業は夏場こそ需要が盛り上がるものの冬場は閑散とせざるを得ないが、当時の技術では設備のコンパクト化など望むべくもなかったのであろう。経営者は閑散期の茫々(ぼうぼう)とした設備の有効活用に腐心したかと思われる。
行き着いた結論が、当時、娯楽手段として脚光を浴び始めたパチンコ台の導入で、これが山形で一時代を席巻した「パチンコ千代田城」の誕生秘話である。
今の感覚からは何とも牧歌的な事業立ち上げの経緯だが、パチンコを足がかりに製氷会社は本業以外の娯楽事業を次々と展開していく。パチスロ、カラオケ、ゲームセンター、ネットカフェ、ボウリング、飲食業…。
製氷会社は当時の社名をマルヰ製氷食品といった。現在はマルヰ(い)。山形で広く知られる「ZESTグループ」の母体である。 (F)