編集長インタビュー
かがやき弁当(山形市)社長 阿相 武憲さん
阿相 武憲(あそう・たけのり)1945年(昭和20年)村山市生まれ。袖崎小、袖崎中、山形東高から早稲田大商学部に進み、卒業後、義理の兄が山辺町で経営するスーパーのマルタ(現在のショッピングプラザベル)へ。72年に独立、山形市で持ち帰り焼き鳥店「鳥太郎」を起業。10店舗まで拡大した89年、バイキング形式で総菜や弁当を販売する「ごちそう市場」の展開を始め、県内のほか宮城、福島、岩手、首都圏まで店舗網を広げる。最盛期の99年には40億円強の売上高を計上するも、その後の業績悪化で2002年に経営破綻、自らも自己破産の憂き目に。その3年後の05年、日配サービスの「かがやき弁当」を設立、以後、天賦の才覚を活かしてシェアを拡大中。78歳。
再出発で始めた日配弁当 「美味しく・安く・健康」が売り
―― 阿相さん、ボクのひと回り上で酉(とり)年ですね。
急成長から経営破綻
「だからってわけじゃないけど、鳥で起業したんだよね。幸町にあった市場の前で1人で始めた。安くて美味しいとすぐに評判になり、1日に800本は売れたかなあ。煙がしみて目が真っ赤になってた(笑)」
「その後、ヤマザワさんやスーパー今井なんかの店頭でも売るようになったけど、これからはバイキングが伸びるとひらめいたんだね。それで業態転換して美畑町に『ごちそう市場』を出したところ、これが大ヒット。行け行けドンドンで株式上場も視野に入ってた」
―― そこまではよかったんですけどねえ。