編集長インタビュー
ライオンパン宝生堂(山形市)社長 佐藤 矩昭さん
佐藤 矩昭(さとう・のりあき) 1944年(昭和19年)に中国厦門市で生まれ、翌年、両親の郷里・山形市に居を移す。市立四小、山形商業を経て日大経済学部に進み、卒業後に帰郷して父親が51年に創業したパン製造のライオンパン宝生堂入社。専務を経て86年から社長。78歳。
廃業は余力あるうちにと決断
長年のご愛顧に感謝致します
――戦後間もなくの創業と伺いました。
給食は1万4000食
「父は山辺町大寺の出身で、出征先の中国から引き揚げてきた当初は闇屋をやっていたようですが、その後に六日町で民家を2軒購入し、1軒を自宅、もう1軒でパン製造を始めたんですね」
「当時はコンビニやスーパーなどない時代。売り先は市内のそこかしこにあった零細な〝何でも屋〟で、自転車の荷台にパン箱を何段も重ねて売り歩いたと聞いてます。やがて自転車はオート三輪に変わり…」