映像に託した反戦の思い
大林宣彦監督を悼む
新型コロナウイルスの感染拡大で3月から7月にかけて公開予定だった映画120あまりの上映が延期になった。その中の1本「海辺の映画館―キネマの玉手箱」のメガホンをとったのが、4月10日に82歳で亡くなった大林宣彦監督だった。
大林監督は自主映画、CMディレクターを経て1977年に「HOUSE」で商業映画デビューを果たし、80年代に故郷の広島県尾道市を舞台にした青春映画「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”が話題を呼ぶ。
その後も「野ゆき山ゆき海べゆき」「異人たちとの夏」「ふたり」「青春デンデケデケデケ」「はるか、ノスタルジィ」など幅広い分野の作品を手がけ、東日本大震災以降は「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」など反戦の思いや原発への危惧を込めた作品を世に問うた。
2016年にステージ4の肺がんと診断され、余命3カ月と宣告されながらも映画制作への情熱を燃やし続け、「花筐/HANAGATAMI」「海辺の映画館」を執念で撮り上げた。
特に「海辺の」は幕末から原爆投下までの戦争の歴史をたどる内容で、「戦争を繰り返してはならない」と訴え続けた大林作品の集大成といえる作品だった。奇しくも公開予定日は亡くなった4月10日。「つばき、時跳び」を来年公開するべく企画をしていた矢先の旅立ちだった。
大林監督は山形との縁も深い。3年前にはフォーラム山形で東北芸工大理事長の根岸吉太郎監督と対談しているし、昨年4月27日には山形美術館で講演、「映画は単なる記録を超えた究極のジャーナリズム。未来の平和をたぐり寄せる力がある」という強いメッセージを全国に発信して話題を呼んだ。
私が担当しているFMラジオの番組に電話出演してもらったこともあり、「命に限りのあるものが映画という永遠の命に想いを託す」「ネバーギブアップ」という言葉をいただいた。コロナとの戦いが続く今だからこそ、これらの言葉が強く胸を刺す。
感謝の想いを込めてご冥福をお祈りします。
シネマパーソナリティー
荒井 幸博
1957年、山形市生まれ。シネマパーソナリティーとして多くのメディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。現在FM山形で「荒井幸博のシネマアライヴ」(金曜19時)を担当。