編集長インタビュー
お雛さま研究家 安部 英子さん
安部 英子(あべ・えいこ) 1935年(昭和10年)大石田町の旧家の長女として生まれ、地元高校を卒業して山形大の事務職員に。昭和40年代から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼び掛ける「開箱運動」を始め、これが契機になって今では県内ほぼすべての市町村で雛飾りが公開されるように。山形市在住。県芸術文化協会名誉会員、市芸術文化協会常任理事も務める。78歳。
戦前まで続いた雛文化
古き良き時代の象徴です
――そもそも雛人形との関わりって?
戦前まで続いたお雛見
「3月3日にお雛様を飾り、人に見てもらうという家に生まれました。どこの家でもそうだったわけではなく、比較的裕福な家ではそうした『お雛見』の行事があり、近所の人たちに甘酒や雛あられ、くぢら餅などを振る舞っていました」
「今でいう『おもてなし』ね。子ども心にお雛見ができる家だったことが誇らしかった。でもそんな思い出も昭和20年8月15日まで。(戦後に日本を占領した連合国軍最高司令官)マッカーサーがパイプくわえて羽田だったかに降り立って」