悲運の提督/「判官びいき」の系譜
「判官びいき」の系譜/最上 義光:第29回
家臣団分裂で改易に
慶長19年(1614年)に義光が死んだ後の最上家の系譜をここで整理しておこう。義光の後を襲って藩主になったのは三男の家親(いえちか)である。
家督を継いで早々、家親は大坂冬の陣・夏の陣の際に江戸留守居役を務めた。そもそも家親は家康・秀忠の将軍2代にわたって近習(きんじゅう)を勤めたことがあり、徳川家の信頼はきわめて厚かった。