山形コミュニティ新聞WEB版

セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》第182回 朝日町立大谷小学校 大暮山分校

Share!

 かつては8校ほどもあった朝日町の小学校は、さらにいくつかの分校を持ち、通学不便な地域性をきめ細かくカバーしていた。

 その中で大谷小学校の分校として「僻地(へきち)1級」の扱いだった大暮山(おおぐれやま)分校は、分校の名に似つかわしくないほどの大きな校舎と広大な運動場を有して威容を誇っていた。

 本校である大谷小の創立は戊辰戦争後まもない明治6年(1873年)、大暮山分校の設立は明治16年。最盛期には本校、分校合わせて650人超の児童が通っていた大谷小だが、昭和末期には3分の1ほどの人数になり、大暮山分校も平成11年(1999年)3月で廃校となった。

 ただその後も校舎は残り、ある企画に利用されたことで注目を浴びた。その企画とは「白い紙ひこうき大会」。

 子どものころ誰もがやりたかったが禁じられていた、校舎の窓から紙飛行機を飛ばす行為がイベントになったのである。

 だが企画が10年を迎えたころ、さすがに木造校舎は吹き付ける風雨、豪雪の重みに耐えられなくなり、一部が崩壊するに至った。そして平成21年(2009年)8月末の取り壊しが決まる。

 校舎は跡形もなく解体され、126年ぶりに更地に戻ったのであった。(F)

記事閲覧ランキング

  • 24時間
  • 週間