セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第126回 清川小学校
旧余目町と合併して庄内町になる以前、旧立川町には狩川、清川、立谷沢、大中島の4つの小学校があった。
そのひとつ清川小学校は日本3大局地風で知られる「清川だし」にさらされる最上川沿いに位置し、敷地内には新庄の本合海(もとあいかい)から乗船し、この地で下船した松尾芭蕉を記念した「芭蕉上陸の地」の碑が立っていた。
同小学校からみえるところにはこの地で生まれた幕末の志士・清河八郎の記念館があり、その清河が遠因として関わった戊辰戦争時には、まさにこの場所で庄内軍が立谷沢川対岸の腹巻岩(はらまきいわ)に陣取った新政府軍と対峙し激戦を交えた。
当時の庄内軍が陣を構えた御殿林(ごてんばやし)は校舎の裏手に残っている。御殿林の杉は今はほとんど代替わりしてしまったが、30年ほど前までは幹に戊辰戦争時の弾丸がめり込んだ当時の杉林が茂っていたという。
歴史情緒豊かな同小学校もまた児童減少の波には勝てず、立谷沢、大中島の小学校とともに狩川小学校(現:立川小学校)への統合の道を辿り、2009年に廃校になってしまった。(F)