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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第124回 山形ボウリングレーンズ

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 1970年代に全国を席巻したボウリングブーム。波は山形にも押し寄せ、大小のボウリング場が各地に建設されたが、それに先駆けて65年には山形市七日町に「山形ボウリングレーンズ」が開業していた。

《セピア色の風景帖》 第124回 山形ボウリングレーンズ

 ブーム時はマイボール、マイシューズを携えたにわかボウラーが殺到、行列を作ってプレイ時間を待つという光景が全国でみられた。
 ボウリング場には待ち時間を過ごすためのゲームコーナーやレストランが併設されることが多く、さながら〝ミニ総合レジャーランド〟の様相を呈していた。

 当時はスコアの計算はプレイヤー自身が行っており、フロントで渡されるシートと鉛筆でルールに示された通りの計算法を用いて全員のスコアをはじき出していた。たいていはメンバーの中で計算の得意な者が任され、重宝されていた。
 やがてそれは自動化され、山形ボウリングレーンズでは「コンピュータボウリング」の名を冠して集客に役立てていた。

 だがブームが下火になると、各地のボウリング場は次々と姿を消してゆき、2009年、山形ボウリングレーンズは44年にわたる歴史に幕を下ろした。 (F)

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