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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第110回 荒谷橋

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 明治時代に造られた橋としては南陽市から上山市に点在するいくつかの石橋が有名だが、大正時代の橋で現在も残っているのは明治のそれより少ない。

《セピア色の風景帖》 第110回 荒谷橋

 小国町の「上杉橋」、高畠町の「大正橋」、それに山形市大森と天童市荒谷を結ぶ「荒谷橋(あらやばし)」ぐらいだろうか。

 1924年(大正13年)に完成したという荒谷橋の貴重さを知ってか知らずか、71年(昭和46年)の拡幅工事の際には片側のみではあるが、大正時代の親柱(おやばしら)と高欄(こうらん)が意図的に残された。
 その後2002年(平成14年)にはコンクリート製だった当初の高欄が鉄柱に置き換えられたが、それでも西側の親柱2柱のみは風雪に耐えながらも山形市の文翔館と同様、風格のある大正時代のデザインを現代に伝えている。

《セピア色の風景帖》 第110回 荒谷橋

 堤防が崩れるほど川が氾濫(はんらん)してもびくともしなかったと伝えられる荒谷橋も、老朽化からいよいよ代替わりが計画され、新橋の建設も始まった。大正当時の姿を見ることが出来るのもあとわずかである。 (F)

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