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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第105回 湯野浜ランド

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 庄内地区は広大にもかかわらず、子どもの遊戯施設が乏しかった。強いて言えば夏場の海水浴場がそれに代わるものだったのかも知れないが、水遊びだけでは満たされないこともあっただろう。
 そんな状況を打破する形で昭和56年に湯野浜ランドがオープンした。

《セピア色の風景帖》 第105回 湯野浜ランド

 構内には内陸の山交ランド(現リナワールド)に劣らないほどの遊具が備わり、実物大を思わせる巨大な恐竜の像がいくつも設置されていた。
 ミニ電車のデザインは昭和50年まで鶴岡―湯野浜間を走っていた湯野浜電鉄のカラーリングで、マネキンの生首が並ぶおばけ屋敷とともに手作り感の漂うものだった。

 湯野浜ランドは子どもたちの人気を博し、若者のデートスポットにもなったが、中学校の修学旅行にディズニーランドが取り入れられるようになると、園内の遊具が時代遅れに感じられるようになったのか、客足が遠のくようになった。

《セピア色の風景帖》 第105回 湯野浜ランド

 そうして平成14年、庄内唯一の遊園地は姿を消してしまった。 (F)

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