セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第94回 本町~七日町アーケード
昭和28年、七日町の一部120メートルの区間に県内初のアーケードが架けられた。当時の新聞はアーケードをさし「鉄骨陽よけ」という注釈をつけていたとか。
戦後の復興期、商店街への誘客手段として考案されたもので、雪に覆われる冬場は特に絶大な効果を発揮したようだ。
それを見た本町、十日町、すずらん街などでも導入が進み、市内の主要商店街の店先の大半が庇(ひさし)に覆われるようになった。
それから40年ほどが過ぎ、アーケード自体の老朽化が進む一方、電線の地中化が全国的なブームに。さらに平成4年の「べにばな国体」に向けての景観整美運動も加わり、アーケードは急速に姿を消していった。
電線が地下に移動したことで、狭いと感じられた七日町通りも若干広くなったように思えた。ただ、それが集客につながったかというと必ずしもそうではなく、大半の客足は郊外店へと流れていったようだ。 (F)