セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第六十四回 かみのやま競馬 その4
馬も人員も整理されてしまったあと、競馬場は場外馬券売り場として余生を送る運命をたどった。
当初は大型スクリーンも使われていたようだが、更なる経費削減のためか、いつしか屋内のテレビ画面での観戦になった。トラック内に設営されていた交通公園も閉鎖され、競馬場があったころよく見られた子ども連れの姿も消えていった。
交通公園は自動車教習所跡を利用して作られた乗り物公園だった。各種の変形自転車やポニーが引く馬車など多くの乗り物があり、100円の入場料を払えば自由に使えた。子どもには楽しい遊び場所であり、競馬目的の大人には子どもを待たせるための格好の場所だった。
閉鎖に際して、数々の乗り物は市内の幼稚園などに寄贈されるのではないかと思っていたが、全て破壊、廃棄されるという結末だった。
多くの子どもが楽しんだ場所は今、製薬会社の敷地になっている。(F)