セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第五十六回 駄菓子屋
かつては松原住宅地内、鳥居ケ丘のライオンパン隣、馬見ケ崎橋の双月町側、花小路ゲート前などそこここに駄菓子屋があった。だが時代とともに各地の小さな駄菓子屋は櫛の歯が欠けるように姿を消していき、コンビニが取って代わるようになった。
駄菓子屋が消えていったのは少子化の進行に加え、ひとつ10円や20円の品物を売ってもそう大きな儲けになるはずもなく、代替わりしようにも後継者がいないということもあったのだろう。
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コンビニ全盛の今になっては詮(せん)ないことだが、駄菓子屋は駄菓子を売るだけの存在ではなく、子どもたちの交流や社会体験を学ぶ場という役割があった。
このことは駄菓子屋のほとんどが消え去ったあとに再評価されるようになり、みなみ市民プール(南一番町)近くの「はじめや」を発祥とするまちづくり活動「だがしや楽校」が各地で開かれるようになっている。 (F)