山形コミュニティ新聞WEB版

セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第十九回 山形駅周辺(3)

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 今でこそ高層ビルが立ち並ぶJR山形駅西口周辺だが、山形新幹線が開通する以前は列車通学生用の自転車置き場と東洋曹達(現・東ソー)の工場、それに国鉄の関連施設がある程度で、朝夕を除いては人もまばらなひなびた空間であった。

《セピア色の風景帖》 第十九回 山形駅周辺(3)

 東口に通じる地下道は以前からあり、線路を挟んで駅より西側から通学する学生は地下道入口周辺にぎっしりと自転車を並べてそれぞれの学校に通って行った。現在のように有料で管理されているわけではなかったこともあり、盗難も相当あったようだ。

《セピア色の風景帖》 第十九回 山形駅周辺(3)

 東洋曹達の工場は化学品を製造していたらしく、原料を積んだタンク貨車を専用の引き込み線で工場構内まで走らせていた。そのため駅が新しくなってからもしばらくは西口に踏み切りが残っていて、横切る車は律儀に一時停止して渡っていた。

東ソー

 工場が操業していた時は内部に立ち入ることができず、その全容はうかがい知れなかったが、山形テルサやその脇の公園等になっている現在の姿から、いかに広大な敷地であったかを思い知る。

《セピア色の風景帖》 第十九回 山形駅周辺(3)

 国鉄の関連施設が撤去された跡地には「霞城セントラル」が建てられたが、撤去されたあれだけの施設の機能は現在どこが担っているのかと、ふと疑問を覚えた。  (F)

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