セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》 第九回 踏切番
今は姿を消したが、80年代のなかばまでは北山形駅付近や五日町などの大きな踏切には「踏切番」と呼ばれる職員がいた。
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「踏切番」は列車が通過するたびに遮断機や遮断幕の昇降を担っていた。ハンドルによる昇降操作は人力から80年代には電動に代わったように記憶している。スイッチを押せばハンドルが勝手に回っていた。
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当時、女性や高齢者のドライバーはまだ少なく、子どもの手を引いて踏切を通る母親や買い物に行き来するお年寄りの姿が多かった。
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踏切内では意外にトラブルが多く、子どもの足がレールの間に挟まったり、お年寄りが買物カゴをひっくり返してしまったり。そのたびに踏切番の人が出動する光景が見られた。踏切番の人は、遮断機を操作する以外にも神経をとがらせる場面が多々あったのだろう。
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とはいえ、山形ではひっきりなしに列車が通るわけではなく、ちょっとした暇な時間には子どもたちの話し相手になってくれることもあった。子どもたちは踏切番の仕事に興味津々(しんしん)で、いろんな質問をしたり、遮断機の昇降作業を見たくて番小屋を訪ねることが多かった。
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話を聞き、興味を持ち、目の前で仕事の様子を見て世の中の仕事というものを理解していった。今の学校ではわざわざ「職業教育」などというものを設定しているが、そんなことをしなくても社会学習が自然にできる時代であった。(F)