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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第二回 いなり角(十日町十字路)

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 「いなり角」と言ってもどこの場所のことなのかわからない人が多くなった。

《セピア色の風景帖》 第二回 いなり角(十日町十字路)

歌懸稲荷が由来

  昭和56年にホテルキャッスルが建ってからは「キャッスルの十字路」という方がわかりやすくなったのであろう。その名の由来である歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)は角にあるわけではなく、付近のバス停が「十日町角」であることも、「いなり角」という名称を曖昧にしている。

存在感のあった菓子店

 私にとっての「いなり角」のシンボルは歌懸稲荷ではなく、実際に角にあった藤田菓子店だった。たまに何日か山形を離れ、数日後に山形に戻った時も、この建物の前を通らないうちは帰って来た気がしなかった。
 藤田菓子店は明治時代に創業していたとされるが、近年まであった建物は昭和初期の建造だったようだ。壁面には「菓子・石炭」と書いてあり、以前は燃料店を兼ねていたことがうかがえる。
 時代を刻んだその風格ある姿はまさに「いなり角」の主であり、そこにあることが今後も当然であるかのように私は思い込んでいた。

《セピア色の風景帖》 第二回 いなり角(十日町十字路)

道路拡張で姿消す

 だが道路拡張の波が押し寄せると、藤田菓子店も例外ではなくなり、平成12年にその建物は「いなり角」から消えた。
 跡地は歩道の一部になった。そのわずかなスペースを確保するだけのために、あの存在感のある建物を犠牲にしてしまったのかという思いが今でもこみ上げてくる。(F)

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