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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第一回 七日町今昔物語

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25年前からの記録

《セピア色の風景帖》 第一回 七日町今昔物語

 山形の街の風景にカメラを向けるようになって25年ほどになる。

               ◇          ◇

 山形の街には、地味ながらも絵になるようなところが随所にあると感じた。初めはただ心ひかれるままにシャッターを押しているだけだった。
 意識が変わってきたのは1992年(平成4年)に開催された「べにばな国体」の前あたりからだ。
国体開催の準備でよくも悪しくも街の整備が目に見えて進み、「いま記録しておかなければ街が忘却の彼方に消えてしまう」という焦燥感に駆られるようになった。

やまコミ紙上で再現

 そうして撮り続け、深く蔵していた私のアルバム。この「やまコミ」紙上で想い出すままに画像を並べ、皆さんとともに当時を振り返っていきたい。初回はもちろん「七日町」だ。
ながく山形市の中心街だったが、駅前に大型店が建ち、県庁が松波に移転したころから活気がなくなった。
 かつては大沼、丸久、松坂屋といった百貨店が櫛比(しっぴ)し、市民の憧れの場所だった七日町。各百貨店の屋上には遊園地が設けられ、子どもだったボクたちを興奮させた。

《セピア色の風景帖》 第一回 七日町今昔物語

甦る当時の思い出

 丸久(現セブンプラザ)の屋上にあった高いモノレールに怖くて乗れなかったことや、富岡楽器店前の歩道上で金魚を売っていた思い出が鮮明によみがえる。
 歩道にはアーケードがあり、雨でも雪でも濡れずに移動できた。老朽化と美観を理由に撤去されてしまったが、雪国には便利な施設であった。
 昭和47年に開店したジャスコは平成5年に七日町を去り、数年後に郊外にオープンして市の南北から七日町をおびやかすことになる    (F)

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